Project
6_Extreme Present to Extreme Self
Year2021
Lecturer
Shumon Basarシュモン・バザー

Extreme Present to Extreme Self

Shumon Basar との対話

2021年4月3日(土)
17:00 – 18:00 プレゼンテーション
18:30 – 20:00 シュモン・バザー(ドバイ)と会場(東京)とのディスカッション(オンライン)

シュモン・バザー Shumon Basar
ドバイを拠点に世界中を移動する文筆家、編集者、キュレーター。『The Age of Earthquakes: A Guide to the Extreme Present』はキュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリストと小説家、ダグラス・クープランドとの共著。最近では展覧会「Age of You 」をトロント現代美術館とドバイのジャミール・アーツ・センターで開催、同時に『The Extreme Self』出版予定。共同編集本に『Vita Nova, Drone Fiction, Translated By, Hans Ulrich Obrist Interviews: Volume 2』、『The World of Madelon Vriesendorp』、『Did Someone Say Participate?』、『With/Without』 、『Cities from Zero』など。また「TANK Magazine」の主幹編集、「Bidoun」、「Flashart」の寄稿編集、Global Art Forum at Art Dubaiのコミッショナー、 プラダ財団Thought Council創設メンバーを務めている。

感情的資本主義とは

文・構成:永井佳子

プレゼンテーション概要:
シュモン・バザーが数々の共著や展覧会を通じて説明を試みてきた超加速する現代の変化はどのような現象をもたらすのだろうか。彼はその感覚を「Change Vertigo(めまいのするような変化)」と呼ぶ。つまり未来が私たちの精神的、感情的、政治的な能力が処理できる以上の速さでやってくるということだ。さらに人間の内面が外の世界の環境を作る現象を「Extreme Self」と呼び、コロナ・パンデミックがもたらしたものをこの流れのなかで説明する。自己とその他の考え方が物理的な集まりを禁止されてよりバーチャルになり、その結果はさざ波のように世界中に波及する。私たちは歴史的変化の局面にある。それを後押しするのは生物学的なウィルスと高度なソーシャルメディアだ。感情的資本主義の時代にようこそ。

書籍『Extreme Self』をアートワークを介して表現した展覧会「Age of You」について、詳しい記事はこちら(英文のみ)
Age of You at Jameel Arts Centre / Dubai

― 西欧で個人化という考え方はプライベートな空間との関係があると思います。「Extreme self」の空間はどんなイメージだと思いますか?生活のなかで物理的な空間との間にはどんな関係性があると思いますか?

ある意味、物理的な空間というのは益々、重要ではなくなってきています。1990年後半、インターネットはデスクトップのコンピューターでしかできませんでした。Windowsを立ち上げてダイアルアップのインターネットに接続するのですが、とても遅いし、その場所にいないとできないのです。2000年に初めてロンドンから東京に行ったときは、タイムマシーンに乗って未来に来たような感覚でした。東京に着いた瞬間、感覚が飽和状態になってしまったのです。私はそのときまだノキアの携帯を使っていてテキストメッセージしか送れないのに、日本の地下鉄ではみんなEメールをしている。私たちとは比べ物にならないほどの進んだテクノロジー社会でした。そういう意味であなた方やアジア地域に住む人々は世界の他の場所よりずっと先のタイムラインにいたのです。

2007年は重要な年でした。スティーブ・ジョブスがiPhoneをローンチしたからです。iPhoneの登場によってインターネットはついにモバイルになりました。それまでは人々はまだWi-Fiではなくてケーブルを使用していたので、オフィスの固定の場所でしか使えなかった。これが脱物質化の歴史です。今では私たちはインターネットをどこにでも好きなところに持っていくことができます。だからこそパンデミックが重要なのです。ロックダウンの期間中、ほとんどの人々が無料のデジタル空間だけで通じ合っていました。去年の3月と4月、街がクローズしているとき、毎日何千人もの人々が行き交う新宿のような場所が突然空っぽになったのです。イタリアやイギリスの有名な広場も同じです。そのかわりオンラインのプラットフォームが公共の空間になりました。パンデミックはデジタルプラットフォームこそが公共空間であるという考えを加速させたのです。10年前ではどちらが第一世界で、どちらが第二世界かという両者の関係性に明らかな差がありました。でももうそれは明確ではなくなってしまいました。多くの人がデジタル世界に住んでいます。「ひきこもり」が最も有名な例だと思います。パンデミックは世界を「ひきこもり」にしてしまったのです。

― 「ひきこもり」という言葉を最初に聞いたのはいつ頃ですか?

2000年の初め頃だと思います。ロンドンのArchitectural Association のサマースクールのとき、チューターのひとりが日本人で「ひきこもり」に関するショートフィルムを作ったときに初めて知りました。2001年か2002年のことだったと思います。実際、同僚で親友でもあるダグラス・クープランドがパンデミックと関連してこんなことを言っていました。「私たちはみな、ひきこもりにならざるを得ない。外出は許されないし、他人やバクテリアやウィルスなど見えない敵を恐れている」「パンデミックの間、ついにひきこもりは自分の部屋から出てくるだろう。それ以外の人々が室内にいるんだから」。これは空間に関する面白い考え方だと思いました。今、空間とは何か、どこに住むか、という考え方の大きな転換点にあると思います。デジタルとフィジカルの境目がどこにあって、私たちがどこから始まって、どこで終わるのか、もはやわからなくなっているのです。今、私のラップトップを開くと電話がつながります。スクリーンとスクリーンではないところの境目がないのです。デジタルをフィジカル(物理的な状況)にオーバーラップすることが、すでに行われています。携帯がすでに拡張現実(AR)ですし、このことはますます極端になってくると思います。多くの人々にとって、スクリーンのなかの世界が第一世界で物理的な世界が第二世界になっているのです。

このような世の中ではどのような人物像がつくられるでしょうか。いつも私が思っているのは、ここ40年の間、日本はテクノロジーと社会が関わり合う実験場のようでした。日本を見ていると私たちがこれからどこに向かっていくのかがわかるようです。最初にマスクをしたのは2000年に東京を訪れたときです。その20年後、ロンドンやニューヨークでマスクをすることになりました。ある意味、あなた方は生活や政治のなかにテクノロジーを吸収しながら未来に生きているのです。

― 日本人の感覚としては、マスクをするのは他人への配慮ということもあると思います。それが個人の評価につながる。つまり日本では個人のパーソナリティというのは他人からの評価で成り立っているのではないかと思うのです。

ロックダウンになる前、私はシンガポールにいました。パンデミックはすでにシンガポールで起こっていたのです。どのイベントもキャンセル、誰も移動したくないから当然のことです。だから、シンガポールに行くのは危険なことと受け止められていました。でも私は逆の決断をしたのです。20年前にSAASを経験した国はCovid-19にも準備ができているのではないか、と思ったからです。だからシンガポールに行くことには何の不安もありませんでした。そこで見たのは集団責任の考え方です。あなたが言っているようなことです。人々は何をすべきかわかっている。自分にとってベストのことをするのではなくて、コミュニティやその国の文化や社会にとってベストなことは何かと考えているのです。だからシンガポールでは安心でした。日本にいてもそう感じたでしょう。この状況をうまく対処できるのは、高いレベルでの集団責任の考え方が備わっている国です。反対に最もうまく対処できていなかったのが、アメリカ、オランダ、ベルギー、ブラジルです。これらは超個人主義的な国です。個人行動とは誰かに指図されたくないということです。一概に悪いとは言えないのですが、公共衛生がうまくいくか否かは個人行動ではなく集団行動がベースになっています。それができなかった国はCovid-19がもたらした結果に長い間苦しめられるでしょう。だから私は将来はアジアにあると思うのです。超個人主義は危険な考え方です。パンデミックに関してだけではなくて、地球温暖化や環境危機にも言えることですから。私たちは歴史の大切な地点にいます。個人と集団の間でバランスを取らなくてはならない。だからアジアがこれからより重要な位置を取ることになると思っています。

― 超個人主義と集団責任のバランスが重要ということでしたが、今、説明してくださったExtreme-selfの社会では、どのように人々との関係性を築いていったらよいのでしょうか?

この本は2016年の世界に何が起こったかということを書いています。ドナルド・トランプが選出されて、イギリスがEUを脱却、デヴィッド・ボウイが亡くなりました。この時点でハイパーテクノロジーがハイパーインディヴィジュアル(超個人)を作っているのです。私たちは今、オルタナティブなポスト・トゥルース陰謀論の恐ろしい世界に突入しようとしていて、科学に関する疑いが日に日に大きくなっています。究極的にはインフォメーション(情報)がディスインフォメーションに成り代わっていくということが起きる。これが過去2年間で起こったことです。民主主義がディスインフォメーションにハイジャックされたのです。科学的調査ではディスインフォメーションはインフォメーションの五倍の速さで伝播していくという結果が出ています。これは市民社会においてとても危険なことです。民主主義のなかでも、社会契約に関しても。もし同じ空間にいる人々がそれぞれ独自の個人的なリアリティのなかに住んでいるとしたら、同じ世界観をどうやって共有していったらよいのでしょうか?社会に敬意を示すこと、共同体をつくることは共有することなしには実現しません。今の社会はリアリティを共有することができなくなっていっている。だからこそ、未来に不安が残るのです。

良い質問をしてくださったと思います。それでは、今の状況を踏まえてどのような未来、どのようなユートピアをつくることができるのでしょうか。だからこそ教育が重要なのです。このような状況を覆すだけのパワーを持つこと。自分たちが持つべきパワーを取り戻すこと。市民に十分な教育が施されてなければ、良い民主主義は実現できません。もし教育が不十分だったり、間違ったことを教えられていたら民主主義は機能しません。それが今の民主主義の課題です。膨大な数の人々が亡くなったのにブラジルの大統領はCovid-19の存在を認めようとしない。このために犠牲になる人はもっと増えるでしょう。国のリーダーがインフォメーションよりもディスインフォメーションのほうを信じているのです。テクノロジーはインフォメーションを脱中心化しました。時代をさかのぼって1960年代のことを考えてみてください。テレビのチャンネルはひとつかふたつしかなかったでしょう。そうやってリアリティを共有することができたのです。皆が同じニュースを見て、同じテレビドラマを見て、文化を共有することができた。でも今は誰もが違うニュースの発信源から情報を得ています。これではリアリティを共有することがますますできなくなってしまう。とても心配なことです。

― 考え続けることが大切ですね。いろいろなアイディアをいただいてありがとうございました。

私がしているのは、いろいろな考え方やコンセプトを紹介することです。世界を少し違った見方で見るための導入といってもよいかもしれません。この話を聞いていただいた皆さんが、それぞれ興味を発展させて探究していってもらえたらよいな、と思っています。これがひとつのまとまった考え方というわけではなく、いろいろなアイディアや現象が並んだスーパーマーケットのような感じで捉えていただいたほうがよいかもしれません。

(この対話は2021年4月にHamacho Liberal Artsで行われたシュモン・バザールとの対話を後日編集したものです)